「フォーカシング」と「言葉できない」
今日は内視鏡検査の仕事をしています。検査と検査の隙間時間に、「カール・ロジャーズ入門 自分が“自分”になるということ」を読み進めました。伝記のパートを読みおえたら、何だか難しくて、眠くなってきました。ロジャーズのアプローチについてあれこれ評論が展開されていますが、正直カウンセリングの実践に乏しい私には意味を理解することはできませんでした。
眠くなりながら「フォーカシング」という項目を読み進めました。
検査室には、BGMとしてオルゴール曲が流れています。小田和正の「言葉にできない」という曲が流れてきました。オルゴールの曲でしたが、私には小田和正の歌声が聞こえてきました。
参考までに「言葉にできない」の歌詞を転記してみます。
「言葉にできない」 詞:小田和正
終わる筈のない愛が途絶えた いのち尽きてゆくように
ちがう きっとちがう 心が叫んでる
ひとりでは生きてゆけなくて
また 誰れかを愛している
こころ 哀しくて 言葉にできない
la la la……言葉にできない
せつない嘘をついては いいわけをのみこんで
果たせぬ あの頃の夢は もう消えた
誰れのせいでもない
自分がちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない Wo
la la la……言葉にできない
あなたに会えて Uh ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
la la la……言葉にできない Uh
手元に文献がないので、記憶に頼って書き進めます。
カウンセリングが臨床的に有効なクライアントは、自分の中にある感覚に気がつくことができるスキルがあるそうです。逆に自分の中にある感覚に気がつくスキルのないクライアントは、どんなにカウンセリングを受けても、臨床的な改善が見られないそうです。そのようなクライアントに対しては、「フォーカシング」という技術を使って、自分の中にある感覚を捉える訓練をする必要があるそうです。
ああそうか。la la la .... だったり、Uh .... だったり、Wo .... だったりするのが、言葉にならない意味のある感覚 (felt sense) なのか。小田和正には、それが音階を持っているんだ。その感覚じにぴったりな言葉を探してみたら(getting a handle)、その感覚が哀しいだったり、悔しいのだったり、嬉しいのだったりするんだ。
検査業務を行いながら、1人納得しました。私の理解が正しいか、さらに勉強を続けようとおもいます。
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