上野千鶴子に恋をした(2)

「情報生産者になる」を読みはじめて -私はちょっとついていけないな-

 先日偶然にも書店で「情報生産者になる」上野さんの最新作を発見しました。「情報生産者になる」には社会学教育についての上野さんの立ち位置について記されているそうです。私は10月に松本市で共同養育についてのアンケートを行い、450人から回答を得ました。アンケートの解析や考察に役に立つのではないかと思い、「情報生産者になる」を手にしました。

 私は上野千鶴子さんのストイックさに痛快さを感じる一方で、私は「ついていけないよ。」という思いを強くしました。

 「2 問いを立てる」という項目に、以下のような記載があります。少し引用が長くなりますがご容赦ください。

 小学校からの長い作文教育で、教師から「感じたことを、ありのままに書いてください」と言われたことはないでしょうか。こういう指導は、こまった教育だとわたしは思っています。それより、「考えたことを、データをもとに、論拠を示し、他人に伝わるように書きなさい」という文章教育をすべきだと。
 「考えて、書く」だけでも十分ではありません。根拠のない考えは、「思い込み」の代名詞。自分のなかだけを掘り下げても、大した発見は得られません。他人はあなたの感情や経験、思い込みや信念を聞きたいのではありません。ひとが他人の人生にあまり関心を持っていないことを、骨身にしみて知ることは多いでしょう。情報生産者になる、とは、自分だけではなく、価値のある情報を「知の共有財」のなかに付けくわえるという行為ですから、それに値する情報を、生産しなければなりません。
 ついでに八つ当たりしておくと、わたしは義務教育以降の国語の教科書の大半が、文学者の作品で占められていることにうんざりしています。散文のみならず韻文も含めて、どのようにも「解釈」し、「鑑賞」できる多義的な文章を、しかも文学青年崩れの国語教師が講じるのは、言語教育としてまちがっていると思います。それが行き過ぎて、ときどき日本語は論理的な思考に適さない、などと暴言を吐くひとがいますが、そんなことはありません。そのひとは、論理的な文章を読んだ書いたりしたことがないだけでしょう。わたしは国語の教科書に、人文・社会科学者の倫理的な文章を、もっと採用すべきだと思っています。

 僭越ながら私の感想を書きます。根拠を明示できないので、上野さん流に言えば「私の思い込み」に過ぎないかもしれません。

 「知の共有材」に価値のある情報を付け加えることができる人って、どれほどの人でしょうか? おそらく10万人のうち1人が、生涯のうちに1回付け加えられるかどうかでしょう。上野さんの考えを基盤とすると、残り大多数の人生は、人類の歩みからしたら無意味です。好意的に見て、その時代に多様性を与えているといえる程度の意味しかありません。しかしながら平凡な人たちでもほんの限られた範囲とはいえ、周囲の人たちに影響を与えています。その文脈では、大多数の平凡な人たちの毎日の営みにも意味があります。文学はその時代に生きる平凡な人たちに、人生の深みを与えてくれます。私たちは、文学を通じて他人の視点で他人の人生を体験することができます。文学によって私たちは自分の人生を見つめなおすことができますし、文学を通じて培われた人間的な深みは、周囲の人たちに影響を与えることになるでしょう。平凡な人たちに何を教育するかと考えた時に、文学を教えることは決して無駄なことではありません。

 まず上野さんの要求水準に応えられるひとは、一握りです。上野さんが指導していたのは東大生、すなわち日本でも相当優秀な方々です。上野ゼミはかなり単位を取るのが難しいと東大で有名でした。上野ゼミを受講しようとする志の高い東大生でさえ、上野さんの要求水準に達するのにかなりの努力を要するようです。私は、世界を変える可能性があり、それを望む人たちだけ、高度な論理性を身につける教育を受ければ良いと思います。すなわち大学生になってから勉強しても決して遅くはないと思います。

 私は「知の共有材」に価値のある情報を付け加える能力がありません。そのための気力も覚悟も十分ではありません。だけど、平凡な人たちの人生の意味を感じたいと思っていますし、偶然知り合えた人たちの人生に寄り添っていきたいと思います。

Coそだて株式会社

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