当事者活動をすることは、かわいそうなことなのか?
私は別居をきっかけに、思うように子どもに会うことができなくなりました。離婚係争で面会交流拡充を焦点に当てて争ったため2週間に1回子ども達に会うことになり、70%ほど遵守されています。日本の水準からすると、会う頻度は高い方です。私は当事者になったことをきっかけに我が子に会うことが困難であるという社会問題に気がつきました。それが私が活動を続ける原点です。
以前私が当事者活動をしていることを、別の社会活動をされている方に話しました。その方は60歳代の女性で、農家民泊をしながらフィリピンの子ども達に対する教育支援をしていました。その方は困惑したような、哀れむような目で私を見ました。なぜ私のことを哀れんだのでしょうか? おそらく私のことを次のように考えていたのだと思います。
ー円満ではない離婚をしてしまった人。
ー元妻に見切りをつけられてしまった人。
ー現状に折り合いがつけられずいつまでも過去にこだわっている人。
60歳代の方々は、日本の歴史上でもまれな皆婚世代で、離婚率も高くありませんでした。離婚をするのに、相当の覚悟を持って臨んだのだと思います。彼らに比べれば、我々の世代はいとも簡単に離婚をすると思われても不思議ではありません。
以前先輩の当事者に、次のように話せば良いと言われました。「当事者活動(離婚後の共同子育てを求める活動)は子どもの貧困対策に繋がるんだよ。母子家庭には貧困世帯が多い、日本には養育費の支払い率も面会交流実施率も低い。面会交流実施率が上がれば養育費支払い率が上がる。」
たしかに、この説明を行うと、その方(農家民宿の女将)はやっと私に理解を示しました。
離婚をきっかけに一人暮らしを余儀なくされた人は不幸なのでしょうか? 私は必ずしも不幸ではないと思います。私は不満な点があるにしろ、離婚により元妻の不機嫌から逃れることができ、家族に気兼ねなく好きな活動を行うことができるようになりました。その結果婚姻中よりも楽に生きられるようになりました。むしろ私は、色々な事情で信頼関係が崩れたのに婚姻関係を維持している夫婦の方がかわいそうではないかと感がるようになりました。
私たちが当たり前に考えている夫婦観・結婚観は、ほんの100年前に明治政府が統治のために広めたものと言えます。社会情勢の変化により、その夫婦観・結婚観は時代にそぐわない面が大きくなっているものの、依然として私たちを縛っています。私たちは思い込みから自由になり、もう少し楽に生きられる道を模索しても良いと思います。
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