『少しだけ欠けた月』を読んで
明日からは、もうお父さんとお母さんが一緒にいることはないんだ――家族三人でレストランに最後の食事に出かけた小学三年生。(「季節風」のホームページより引用)
Smile Balloon Project で「離婚後の子育て」についての講演を行います。講演内容に助言を求められました。「子供の気持ちになってみると、離婚後も両親とかかわりたいよね。そのためには共同養育は選択肢になるよね。」というストーリーを考えています。そのためには参加者には離婚に際した子どもの気持ちをリアルに感じる仕掛けが欲しいです。小説を提示したらどうだろうか。重松清が何か小説を書いているはずだと思って調べたら、すぐに見つけることができました。
中盤までのストーリーは、平井堅の「even if」と良く似ていました。しかし終盤にストーリーがわずかに展開しました。終盤の変化は些細なものですが、その変化により登場人物の気持ちを鮮やかに描写され、典型的な重松清のお話でした。
アキラが家族三人での最後の食事を終わりにしたくないと言う気持ちと、離婚を避けられない両親がその中でアキラの気持ちに応えようとする気持ちが良く伝わってきました。
私は離婚係争のさなか、長男の通学路から少し外れた所に暮らしていました。自分が子供になかなか会えないの辛さと、子どもたちが当たり前に父親と交流できない状態になったことによる申し訳なさと、やり方によってはまだ家族が維持できたのではないかという後悔とで、常に苦しさを抱えていました。子どもたちが静岡に引っ越す数日前のこと、私は子どもたちがいる公園に行き、運良く長女と会いました。日が沈んだら、長女は家に帰らなくてはならない。私は夢中で長女と遊びました。短時間であるもののあまりに素敵な時間でした。長女とは未練なく別れるそぶりを見せたものの、一人で歩く帰り道があまりにも切なく、それゆえ私は別居親として子どもとの交流を維持するためにベストを尽くしたと自分を納得させました。家に帰ると、私の服には砂やら枯れた芝生やらがたくさんついていました。夢中になって遊んだので、服が汚れたことに全く気が付きませんでした。
後に元妻(当時はまだ妻)は「子どもたちが友達と過ごす時間を、父親が台無しにした。」と怒っていたことを知りました。だけど私を力づくで止めることはしませんでした。
元妻もあの頃、子育てを一人で背負わざるを得なかったことと、新生活への不安で、辛かったと思うのです。そして元妻の結婚観とそれに毅然と反論してくる私との間で、消化しきれない思いを抱えていたと思うのです。歩み寄れる余地があったのに、なぜ対立を深めることになってしまったか。今の私が当時の元妻に向き合ったら、もっとうまくできたのではないか。あれこれ考えてしまいました。
念のため書いておきます。良く誤解され裁判官にも聞かれましたが、私は元妻に未練はありません。そして離婚前よりも、総じて幸せな暮らしをしています。元妻も早く幸せになって欲しいものです。
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